生きる意味

なんか色々書くつもりだったけどツイッターで殴り書きしたからいいや




ご覧のとおり色々頭にくることがあってしんどい。自分の思ったとおりの反応を示さない人間には怒りを感じるなと思う


でも今日入試の国語の問題で、俺にその問題を今日出すのかって言うくらいドンピシャな問題がでてきた。




自分の思い通りの反応でなくても、それは彼らの「生きる意味」からの行動なのであり、その「生きる意味」に意識をおいてみるのだ。もっとも、ひとりひとりの「生きる意味」の尊重とは、その人の言いなりになるということではない。むしろ「生きる意味」を感じ取りながら、私がそこに違和感を感じるのであれば、そこからコミュニケーションを広げていくようなプロセスこそが「生きる意味」の尊重だ。-上田紀行-『生きる意味』




勝手に抜粋させていただきました。



一人一人の反応が違うのは当たり前なんです。自分が予想した反応と違うのは当たり前のことなんです。そこに苛立ちを感じてしまうこともあるし、腹立つこともあるけど、その行為がその人にとっては成長につながってるのだと考えることでその苛立ちは少なくなるんだと今日の文章を読んでそう思いました。


成長のための努力を惜しまない人の姿勢を見たら周りの人間は絶対に励まされます。つまりそれはお互いにとっても励ましあえる存在だということを教えてくれています。

他人に抑圧されるだけでは自分にとって楽しいと思うこと、苦しいと思うことは伝わらない。そんなことを伝えても意味がない、では本当のコミュニケーションは始まらない。




私たちが苦悩しているとき、困り果てているとき、その苦しみの声を聴いてもらった体験は、確実に自分自身と世界への信頼を深めるものだ。世界は私の声を聴いてくれているという実感を持つ人は、その世界を破壊しようとは思わない。自分の苦しみ、弱さを深く受け止めてもらった経験を持っている人は、人を傷つけたりしたいとは思わない。




色々と抜粋してきましたが、一番今日胸にささったのはこれ



この社会にはどこかに中心があって、自分はその中心から遠く離れたところに押しやられていると感じる人は多い。しかし、私は私自身の「生きる意味」を創造し、私の生きる世界に意味を与える存在なのであり、世界の中心は私自身にあるのだ。

そう思って生きてきたことはありませんよという方はもう見なくていいんですが、こういう風に思う人は多いだろうなと思いました。自分自身もそう思ったことはありますし、今でも思います。


どうせ自分が死んでも世界は回ってるんだろう、そんな風に考えて生きていたら何事にも関心も気力もでなくなった時期もありました。ですが、私にも、あなたにも、その人自身が意味を生み出す中心である存在だと認めたとき、自分の周りには自分だけではない中心があることがわかってくるでしょう。


かけがえのない存在がここにいて、あそこにもあって、世界の中心がここにもあり、あそこにもある。それをオリジナリティーと呼ぶのでしょう。一人一人のオリジナリティーを探すと、世界のいたるところに「かけがえのない」オリジナリティーが見えてくる。私のかけがえのなさを見出すことは、あなたのかけがえのなさを見出すことでもある。そしてあなたのかけがえのなさに気づくことは、私のかけがえのなさに気づくことにもなるのである。





ほっとんど抜き出しの文章で申し訳ありません。でも今日この文章に出会ったことで、昨日の自分の行為が、思い通りの反応得られないことに対する苛立ちを抑えきれず、相手を抑圧することでそれを得ようとしたという非常に幼稚な行為であったのだということを気づかされました。


こんなことをかいたって、ただのきれいごとだろうと思う人もいるかもしれません。確かに常にこんな気持ちで生きていけたらそれは素晴らしいことでしょう。神様のようでしょう。自分でも常にこんな気持ちをもてるのかといわれれば答えはNOです。ですが、こういう気持ちで物事を考えることができる人間が増えるということが、この作者の大きな願いなのではないのかなと勝手に思いました。

少なくとも私はこれからはそういう気持ちを持っていこうと決心しました。自分の言動に後悔をしたくないと強く思わされたので。




文章だけで大変長くなってしまいましたが、読んでいただければ幸いです。
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おれもそうおもうw

まじでわかるandわかる

本当に尊敬する。そんな男性と若い時に出会いたかった
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